きのこのVS.たけのこの里
姉妹商品であるこの両者間において度々論争が行われている。(私はたけのこが好き)
1980年代頃には論争が始まったそうで、2001年には明治が「きのこ・たけのこ総選挙」を実施した。結果はたけのこが勝利。2019年には新きのこ党に苦汁、辛酸を嘗めさせられたが2020年の「きのこの山・たけのこの里国民大調査」では46都道府県でたけのこの里への愛情がきのこの山を凌駕した。(福島県のみ、きのこ)
明治社内でも派閥はあるようで、経営層はきのこ派が多く、社内全体だとたけのこ派が多いらしい。
…とまぁ、こういう類の論争は東洋水産のきつねとたぬき(私はきつね派)、スコーンのコーンウォールかデヴォンか(私はデヴォン派)など、どこでも起きている。
ここで、ジョゼフ・ジュベールの「議論の目的は、勝利ではなく、進歩であるべきだ」という言葉を思い出して頂きたい。
議論の目的は相手を打ち負かすためのディベート(競技)ではない。互いに理解を深め、改善(改革)へ向かうための手段であるべきという意味を持つ言葉だ。
議論に勝つことばかりにこだわると、真実や建設的な結論(本質の探求)が隠れてしまい、また、相手を批判するのではなく、相手の意見から学び、より良いモノを見つける姿勢が重要視されている言葉である。
ジュベールのこの考え方は、意見の異なる相手と建設的に向き合うための知恵として、現代でも「論争ではなく、前進」を促す文脈で引用されている。
しかしながら、昨今の論争の様子を見ているとどうにも前進できるような論争が中々見当たらないのである。「マルハラ。」や「奢り奢られ問題」は個人的にとても前進できるような代物ではないと思う。両陣営ともに主張がこじつけに近く、自分のことばっかりで…。そりゃあ相手の話を聞く気にはならんよな。と思う。こういう前進できない論争が蔓延っているから、きのこたけのこのような平和に活発に議論ができるテーマで論争が行われているのかもしれない。
しっかしなぁ……「きのこよりたけのこ」とか「。付けるとハラスメント」とか「奢るのが当たり前」とか誰が言い出すんだろうか。
今年のドラ映画は「のび太の
新・海底鬼岩城」ということで第4作「のび太の海底鬼岩城」のリメイク。
この話で活躍するといえば「テキオー灯」。どんな過酷な環境下でも生身で過ごすことができるひみつ道具。「この光線でどこにでもすめるようになる」「海底でも?」「ただし24時間」
さて、劇中でマリアナ海溝に潜る場面があるのだが、マリアナ海溝もといチャレンジャー海淵は約10,920メートルの深さ。水圧は108.6Mp。指先に大きめな牛(1トンくらい)が乗っかる程度の圧力である。水圧は全方面からかかるので、人間なんぞ為す術もなくぺちゃんこだ。だが、テキオー灯はこれに耐える。
また、劇中では水中バギーが時速800km(航空機くらいの速度)で海底を走っているシーンがあるが水中を時速800kmで走行した場合の動圧は25Mp(深さを無視した値)マリアナ海溝に比べたら大したことないが、これだけの圧力がかかりながらドライブを楽しみ、おしゃべりしている。潜水艦ですら耐えられるのは3Mp〜6Mpなのでとんでもない話だ。
最近では「地球交響楽」「宝島」などで出てきました。
「地球交響楽」は宇宙に行ったので使う理由は見れば明白でしたが、
「宝島」では見ているだけではテキオー灯を使う理由が分からないかもしれない。
「宝島」で使用したのは飛び立つ宝島を追いかけていくシーン。(浴びせた描写はない)
地球上では100m上昇すると気温が0.6℃下がっていきます。
「宝島」が公開された2018年の東京の8月の平均気温は28.1℃であり、
低層雲ができる高度2,000m付近で16.1℃(-12℃)、中層雲ができる7,000m付近で-14.1℃(-42℃)高層雲ができる10,000m付近では-31.9℃(-60℃)になる。
さらに、高く行けば行くほど空気は薄くなる。空気は10m上昇すると1hPa減るので2,000mも上昇すると地上と比べると空気が8割程度になってしまう。2,000mであればまぁ生身でも耐えられそうではあるが、3,000mにもなると高山病を発症する可能性もあり、映画最後のシーンを見てみるとかなりの高所に宝島は浮かんでおり、結果、テキオー灯を浴びせたドラえもんの判断は正しかったと思う。
ぜひ、テキオー灯の凄さを理解した上で海底鬼岩城を鑑賞してほしい。
個人的には、海底人が地上の様子を見るためにテキオー灯を使って地上に行っているのがドラえもんたちとのいい対比になっているのが好き。
令和8年度埼玉県公立高校入試が1ヶ月後に実施されるが、来年の令和9年度埼玉県公立高校入試から大きく変わる。
すでに発表をされている通り、「マークシート方式」と「面接試験」の実施だ。
ここで注目したいのが「面接試験」。面接試験があるのに調査書には検定試験だとか大会の実績だとかは記載されずに9科の内申点のみの記載になる。代わりに自己評価資料にそれらを記載するようになる。
本来、面接試験は学力のみでなく、本人の「意欲」だとか「実績」のような、内申点以外を評価するための試験だと考えているのだが、筆記試験の点数がより重くのしかかるんじゃあないかと思う。
暫定ではあるが与野高校の入試の配点は
学力試験:500点
調査書:400点
面接:60点
※面接の配点が全体の6.25%
同じく浦和北は
調査書:300点
面接:30点
※面接の配点が全体の3.6%
同じくいずみは
学力試験:500点
調査書:300点
面接:60点
※面接の配点が全体の6.9%
面接の配点が低い。こうも低いと面接で満点を取ったとしても全体から見てしまうと大きいアドバンテージが生まれにくい。(そもそも意欲や実績に自信のある子は特色選抜試験で合格していそうだが…)だから余計に学力試験での1点1点での重みが大きくなる。
逆に浦和東は
学力試験:500点
調査書:300点
面接:360点
※面接の配点が全体の31%
中々に高い。
同じ偏差値帯の高校で学力試験や調査書に自信はないけれど、意欲や実績に自信がある生徒はこういった面接の比率が高い高校を受けるのも手ではある。
とはいえ、大半を占めるのが学力試験と調査書ではあるため学校でのテストと生活をしっかりすること自体は今までと変わらない。
システムの変更で色々と大変かもしれないが頑張っていこう。
あくまで勉強での話。
努力の要らない時代が到来したと思う。
みなさん、スマホ持っていますか?
スマホってめっちゃ便利なんです。
SNS、ゲーム、写真、動画、コミュニケーション、検索、情報収集…
なんでもこなせる超有能便利ツール。
記憶していなくても調べたら答えは出てくるし、知らなくても情報はたくさんのまとめページがあるし、チャッピー様に頼めばいい感じにまとめてくれるし、便利すぎて、ヒトの努力値が少なくても、能力が低くても、レベリングしなくても、皆が一様に同じ答えに辿り着ける。
よくある「見たことはあるんだけどなんだっけ…」っていう場面。
スマホでパッと調べるか、頑張って思い出そうとするか。
日常なら、別にどちらでも構わないのだが、勉強中なら、後者の方がいいよね。
なんでかって?きっと「また調べたらええやん」と思って、どうせ本気で覚えないから。
このタイミングできちんと覚えるなら、すでに覚えてるよ、うん。
それに、スマホで調べると情報がバーッと流れてきて脳が処理するの大変。
ただでさえ脳使っていないのに過負荷もいいとこ。
負荷かけるなら、教科書とか教材とか読んだり思い出す作業したりでかけてほしい。(どうせなら処理落ちするくらいかけろ)
「見たことあるけどなんだっけ…」で思い出せる人と思い出せない人の差って何なんでしょうか。思い出せる人はきっと普段から脳を使っている人なんだと思う。
怖いのは調べたら答えが出るようになっている仕組みと、答えやまとめページを作成している人や団体があるということ。リテラシー。
