ある大学教員が学生たちにアンケートを取ったそうです。「講義に不満やダメなところはないか」と。
「自分の知らないことばかり話されて腹が立つ」という回答が多数あったそうな。…ん?
確かに「人間、不思議なもので自分が知っていて、相手が知らないことに対しては気が大きくなりがちで…」と書いたがこのパターンは違う。
以前書いたのは、人と人の間に起こる価値観の相違の話。今回は…なんだ?なにこれ。おい学生、どういうこった?
まぁとにかく、こんな回答をしている人間が多数いるということで「これも一種のマウントだ」と思ったわけである。
さて、この大学教員は学生たちにマウントを取りたかったのか?中にはしょうもない自尊心を満たしたい教員もいるかもしれないが、今回問題なのは学生たちだ。何が問題かって、何しに大学に行っているんだ!知らないことを勉強するためだろ!ということは当然問題なのだが、そんなところではなく、大問題なのは知らないことを話されて腹が立ったということ。しかも多数いたということ。多数いたことは偶然ではないだろうなと思った。
1つ、考えが浮かんだ。
「パッと見て聞いて分かる以上の理解力を求められると腹を立てる人間が増えてきたんではないか」
どうですか。なかなかにいい考えではないですか?
さて、なんでこんなこと考えたかというと
一昔前はブログが流行っていました。でも今はインスタやTikTokなどが流行っています…というより生活の一部と言ってもいいくらいに浸透していますね。なぜ、インスタやTikTokがここまで浸透しているのかというと写真と動画に短い文章を添えて、一目見たら分かるものだから…と考えたからです。自分で書いてて悲しくなりますがブログなんてほとんどの人が読みません。
ケータイ小説なんてものも流行っていました。小説と銘打っていましたが、横書きでした。句点も改行も多く、使われている言葉も軽く、当時本屋でバイトしていた自分は「誰が読むねん。」と思っていましたがバカ売れしていました。
今じゃ小説は140字で読み終わって30秒で泣けるらしい。(ちなみに人の読むスピードは1分に400〜600字らしいので少し読むのがゆっくりですね。140字なら21秒で読みましょう。)
そして、ドラマやアニメでもBGMや景色や表情など「言葉以外」で表現をしてしまうと「分かりづらい」と言われてしまうこともあるらしく「分かりやすく」制作しているんだそう。そういえばケータイ小説も「こうして書いていないと売れない」と出版社の方が話していました。
一目見て聞いて分かる分には苦労もないですし、スピードも速くいいことではありますが、一目で分からないことも多くあります。一目で分からないものにいちいち腹を立てていたら、学校の授業や講義、ドラマやアニメも楽しめません。勿体ないですね。
「かわいいは作れる」と耳にしたことはありますか?
元ネタは花王エッセンシャルのCMです。
そしてCANMAKE Tokyoのキャッチコピーは「かわいい!に出会える」
とのことで全世界の女性共通の「かわいくなりたい!」という願いを叶えるための商品やイベントだったりするわけだが…。果たして「かわいい」は作れるのか?
私は男なので、かわいくなりたーい!…とは思ってないが、髪に関してはアイロン使ったりワックス付けたりしている。女性諸君も前髪作ったり触角命だったり苦労されているはずだ。学生ならケープ(紫)やコームは必須アイテムだろうし、湿気が多い日には髪が言うこと聞かず,夏場も汗をかくとせっかく盛れた髪が台無しになり、悔しい思いをしたことがあるだろう。
昨日、中学生と話をした。どうやら「髪がうまくきまらない」とのこと。ケープ(紫)を使用しているとのことなので
1髪から.20〜30cm離してスプレーする。
2.髪の上からではなく下からスプレーする。
3.髪の内側にスプレーする。
この3つを意識するように話をした。
上記3つのことはヘアスプレーをする上では基本のことだが、彼女はそれを知らなかった。つまりケープ(紫)の良さをうまく使いこなせていなかったのだ。もっと言うなら、知らないが故に自分の魅力を活かせず霞めてしまっているということだ。非常に勿体ない。
では、魅力を霞めずに最大限に発揮するためにはどうすればいいのか?
まずは知識が必要だ。ヘアスプレー、タオルドライ、ヘアオイル、ヘアアイロンのやり方と使い方。これらの知識がないと「かわいいの土台」が作れない。
次に必要なものは技術だ。先述した知識を使いこなすためには技術が必要だ。技術を身に付けるには練習が必要だ。特にヘアアイロン。利き手側が非常にやりづらいので日々練習である。
この知識と技術を高めていくと結果、自分の思う「かわいい」に近づける。と私は思う。
ではここで、ドライヤーとヘアアイロンとスプレーを使った前髪命な学生諸君に崩れにくい前髪セットの方法を教えておこう。ぜひ試してほしい。
「前髪はまっすぐ!」なあなたに…
1.前髪を濡らす。
2.濡らした髪の根元をタオルで拭く。
3.根本の上からドライヤーを当てる。指で左右に散らしながら乾かそう。
※髪にくせのある方は左右から均等にドライヤーを当てよう。これで前髪が割れるのを防げます。
4.髪が乾いたらスプレーしよう。
5.スプレーしたら髪をアイロンに通そう。
※スプレーの後にアイロンです。これでキープ力がアップします。
さて、他にもセンターパートとかシースルーバングとか他にも色んな前髪があるが全部書いてたらキリがないので一旦書くのは終わり。知りたきゃ教室に来てください。
で、だ。前髪作るだけでも結構な知識と技術が必要なのだ。かわいい前髪作るために知識を得て、技術を習得し、実践していかないといけない。その積み重ねが「かわいい」を作るのだと私は思います。
あれ?これって勉強も同じですね!
だって、
前髪セットの方法を覚えて、作れるように練習して、練習を続けてかわいさUP!
公式や文法や語句を覚えて、使えるように練習して、正解を重ね続けて点数UP!
ほら同じでしょ!
ということで、
「かわいいを作れる人」は点数UPできます。
「点数UPできる人」はかわいいを作れます。
点数もかわいさもUPしていきましょう。
差別って結局マウント取りたいだけなんだろうなぁ。と思う今日この頃…。いや別にそういうことを考える機会に出くわしたわけではないのだが、先生が作成した英単語テストの中で「mountain」を見つけて「あー、mountain、マウンテン、まうんと?…マウント!」と思いつつ「Mt.Mountを登ったらどんな景色を見ることができるのかなー」とか「日本人ならMt.Fujiだよなー。そこそこ高いのかなー」とか阿呆なことを考えただけであって大したことはない。
で、だ。差別と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?私は職業柄、アパルトヘイトとか白豪主義とか奴隷解放とか耳にする機会が多いので、私は「肌の色」が思い浮かびます。我々日本人は黄色人種なんてカテゴライズされたりしますね。
さて、そんな我々日本人ですが「イエベ」と「ブルベ」が気になるそうです。肌の色が「イエローベース」なのか「ブルーベース」なのか「春」なのか「秋」なのか「夏」なのか「冬」なのか…。あくまでファッションなので差別云々ではないのは理解しているがファッションには厄介なことに「トレンド」がある。このトレンドに乗れていないと、「え⁉知らないの?マジあり得なくない?やっば〜!」と言われたり、「マジかこいつ…話し合わねぇわ…」と思われたりする。たまったもんではない。人間、不思議なもので自分が知っていて、相手が知らないことに対しては気が大きくなりがちで、それをさもすごいだろと言わんばかりに、「優しい友人からの親切なアドバイス」の名の下に教えてくる。教えられる側としちゃ余計なお節介この上ない。何が厄介かって、善意で、親切で教えていると本人が「君のためだ」と100%信じ切っているところなのだ。だから、「それは間違っている、これが正しい」とか「知らないの勿体ないよ」とか自分の価値観の押しつけやその気があってもなくても見下してる感が出てしまう。これがマウント状態の1つかなと思う。ファッションなんざ本人が好きなもの着たりメイクしたりすればいいし、その他の様々な価値観も「一理あるよね」「そういう風に考えることもできるよね」と認めることが大切だと思う。ニューノーマルとかダイバーシティとか個性が大切だとか散々言っていたのに、結局のところ個性のない、イエベ、ブルベ、春夏秋冬にカテゴライズされようとしている。これでは〇〇高校1年1組の××部所属、△△高校2年2組の□□委員会所属ということと変わらんではないか。校則含め法やルールはあるものの、せっかくのファッションなんだから、学校抜け出して制服脱いで楽しめばよかろう。イエベとかブルベとかじゃなく自分が好きな髪形や髪色やコスメ使っておしゃれを楽しめばいいじゃないか。と私は思う。そうしたらマウントなんて誰も取らない…というか取る必要もないのでみんなハッピーだと思いませんか?
「これも似合うよ!」とか「こっちもかわいい〜!」ってきゃっきゃして楽しんでほしい。間違っても「センス無っ!」「アイツやっば!」とか蔑んではつまらん。てかマナー違反だろう。(世のマナー講師たちはこういう所に言及してほしい。カレーの向きなんかどうでもよい。あれは食べる側の配慮の問題だろう。波留さんどんまいです。あれも「へぇ〜。そうなんですね!」って言われたいだけのマウントに見える…)
あ、ということでまとめてしまうと「自分の知らない、認めない、世界や価値観に寛容になれないことってよくないよね」ってことです。誰にも迷惑が掛からない、法に触れないのであれば、それでいいではないか。差別もマウントもしない方が平和だよ。
ただ、こんなことを書いておきながら、カレーの向き(利き腕側をライスにする。)をマナーだと主張する人に「くだらん」と思う私がいる。皆さんは寛容だろうからどうかこんな私を許してほしい。
プライベートでも仕事をしている時でも
「思い通りにいかないとき」と「うまくいかないとき」がある。
人気のスイーツが売切れだったとか、電車が遅延して遅刻したとか、お客さんが来ないとか、計画通りに勉強が進まないとか、点数取れないとか。誰だって何かしらこういう経験をしたことがあると思う。
では、その経験たちは果たして「思い通りにいかなかった」のか「うまくいかなかった」のかどちらなのでしょうか。考えたことはありますか?おそらくないでしょう。私もそんなにありませんが「うまくいかなかった」だから「思い通りにいかなかった」と考えています。
どういうことかというと、例えば、人気のスイーツが売切れでした。どうしても食べたかったのに売切れて食べることができませんでした。この時、みなさんはどう考えますか?
「売切れ」は残念ですが、諦めるには早いと思いませんか?系列店を探すとか在庫状況を調べてもらうとか、今日は無理でも明日は?できるのかどうか、スイーツを手に入れられるかどうかは置いといてやれることはまだある。だが、「スイーツが売切れ」という絶望的に受け入れがたい現実を突き付けられ動けない。で、「売切れだったんだけどー。マジついてないわ―。」とか言う人がいるのだ。
電車の遅延も同じで、タクシーとかバスとか自転車とか電車以外にも方法はあるのにいつ再開するか分からん電車を待ち続ける人がいる。で、結果遅刻をする。
これらを「うまくいかなかった」と認識をしてしまう人が多くいる。いや、「うまくいかなかった」と「思い通りにいかなかった」と混同をしてしまう人が多くいる。
本当にうまくいかなかった場合というのは、実はレアケースで、その場合、目標が無茶だったり、前提がそもそも間違っていたりする。
思い通りにいかなくて、「ついてないわー」と宣うのはあくまで主観。そして思い通りにいかなかったこと自体は客観的事実。スイーツ食べるのにそのお店じゃないと!目的地に行くのに電車じゃないと!と、決してそうでないといけないわけではない。よく言う「手段が目的になっている」状態。
勉強についても、テスト勉強のためのワークなのに、ワークを終わらせる為にワークをやり、それで「あんなにやったのに!」と言うのだ。勘違いも甚だしい。だから毎日少しずつやれと言っているのに…。いつやり始めてくれるのだろうか…。頼むからやってくれ。