差別って結局マウント取りたいだけなんだろうなぁ。と思う今日この頃…。いや別にそういうことを考える機会に出くわしたわけではないのだが、先生が作成した英単語テストの中で「mountain」を見つけて「あー、mountain、マウンテン、まうんと?…マウント!」と思いつつ「Mt.Mountを登ったらどんな景色を見ることができるのかなー」とか「日本人ならMt.Fujiだよなー。そこそこ高いのかなー」とか阿呆なことを考えただけであって大したことはない。
で、だ。差別と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?私は職業柄、アパルトヘイトとか白豪主義とか奴隷解放とか耳にする機会が多いので、私は「肌の色」が思い浮かびます。我々日本人は黄色人種なんてカテゴライズされたりしますね。
さて、そんな我々日本人ですが「イエベ」と「ブルベ」が気になるそうです。肌の色が「イエローベース」なのか「ブルーベース」なのか「春」なのか「秋」なのか「夏」なのか「冬」なのか…。あくまでファッションなので差別云々ではないのは理解しているがファッションには厄介なことに「トレンド」がある。このトレンドに乗れていないと、「え⁉知らないの?マジあり得なくない?やっば〜!」と言われたり、「マジかこいつ…話し合わねぇわ…」と思われたりする。たまったもんではない。人間、不思議なもので自分が知っていて、相手が知らないことに対しては気が大きくなりがちで、それをさもすごいだろと言わんばかりに、「優しい友人からの親切なアドバイス」の名の下に教えてくる。教えられる側としちゃ余計なお節介この上ない。何が厄介かって、善意で、親切で教えていると本人が「君のためだ」と100%信じ切っているところなのだ。だから、「それは間違っている、これが正しい」とか「知らないの勿体ないよ」とか自分の価値観の押しつけやその気があってもなくても見下してる感が出てしまう。これがマウント状態の1つかなと思う。ファッションなんざ本人が好きなもの着たりメイクしたりすればいいし、その他の様々な価値観も「一理あるよね」「そういう風に考えることもできるよね」と認めることが大切だと思う。ニューノーマルとかダイバーシティとか個性が大切だとか散々言っていたのに、結局のところ個性のない、イエベ、ブルベ、春夏秋冬にカテゴライズされようとしている。これでは〇〇高校1年1組の××部所属、△△高校2年2組の□□委員会所属ということと変わらんではないか。校則含め法やルールはあるものの、せっかくのファッションなんだから、学校抜け出して制服脱いで楽しめばよかろう。イエベとかブルベとかじゃなく自分が好きな髪形や髪色やコスメ使っておしゃれを楽しめばいいじゃないか。と私は思う。そうしたらマウントなんて誰も取らない…というか取る必要もないのでみんなハッピーだと思いませんか?
「これも似合うよ!」とか「こっちもかわいい〜!」ってきゃっきゃして楽しんでほしい。間違っても「センス無っ!」「アイツやっば!」とか蔑んではつまらん。てかマナー違反だろう。(世のマナー講師たちはこういう所に言及してほしい。カレーの向きなんかどうでもよい。あれは食べる側の配慮の問題だろう。波留さんどんまいです。あれも「へぇ〜。そうなんですね!」って言われたいだけのマウントに見える…)
あ、ということでまとめてしまうと「自分の知らない、認めない、世界や価値観に寛容になれないことってよくないよね」ってことです。誰にも迷惑が掛からない、法に触れないのであれば、それでいいではないか。差別もマウントもしない方が平和だよ。
ただ、こんなことを書いておきながら、カレーの向き(利き腕側をライスにする。)をマナーだと主張する人に「くだらん」と思う私がいる。皆さんは寛容だろうからどうかこんな私を許してほしい。
プライベートでも仕事をしている時でも
「思い通りにいかないとき」と「うまくいかないとき」がある。
人気のスイーツが売切れだったとか、電車が遅延して遅刻したとか、お客さんが来ないとか、計画通りに勉強が進まないとか、点数取れないとか。誰だって何かしらこういう経験をしたことがあると思う。
では、その経験たちは果たして「思い通りにいかなかった」のか「うまくいかなかった」のかどちらなのでしょうか。考えたことはありますか?おそらくないでしょう。私もそんなにありませんが「うまくいかなかった」だから「思い通りにいかなかった」と考えています。
どういうことかというと、例えば、人気のスイーツが売切れでした。どうしても食べたかったのに売切れて食べることができませんでした。この時、みなさんはどう考えますか?
「売切れ」は残念ですが、諦めるには早いと思いませんか?系列店を探すとか在庫状況を調べてもらうとか、今日は無理でも明日は?できるのかどうか、スイーツを手に入れられるかどうかは置いといてやれることはまだある。だが、「スイーツが売切れ」という絶望的に受け入れがたい現実を突き付けられ動けない。で、「売切れだったんだけどー。マジついてないわ―。」とか言う人がいるのだ。
電車の遅延も同じで、タクシーとかバスとか自転車とか電車以外にも方法はあるのにいつ再開するか分からん電車を待ち続ける人がいる。で、結果遅刻をする。
これらを「うまくいかなかった」と認識をしてしまう人が多くいる。いや、「うまくいかなかった」と「思い通りにいかなかった」と混同をしてしまう人が多くいる。
本当にうまくいかなかった場合というのは、実はレアケースで、その場合、目標が無茶だったり、前提がそもそも間違っていたりする。
思い通りにいかなくて、「ついてないわー」と宣うのはあくまで主観。そして思い通りにいかなかったこと自体は客観的事実。スイーツ食べるのにそのお店じゃないと!目的地に行くのに電車じゃないと!と、決してそうでないといけないわけではない。よく言う「手段が目的になっている」状態。
勉強についても、テスト勉強のためのワークなのに、ワークを終わらせる為にワークをやり、それで「あんなにやったのに!」と言うのだ。勘違いも甚だしい。だから毎日少しずつやれと言っているのに…。いつやり始めてくれるのだろうか…。頼むからやってくれ。
先日、日本語が拙い!なんてことを書いたが、毎年「新語・流行語大賞」なるものが決定される。
2024年:ふてほど
2023年:アレ (A.R.E)
2022年:村神様
2021年:リアル二刀流/ショータイム
2020年:3密
過去5年の大賞はこんな言葉たちである。
3密はニュースで散々聞いたが、本当に流行ったのかこれ…?私はまったくピンと来ない。
そして「今年の漢字」も毎年決定される。
2024年:金
2023年:税
2022年:戦
2021年:金
2020年:密
過去5年の今年の漢字である。オリンピック開催の年は「金」になりがち。(ちょっと安直)
毎年こういう言葉に関するイベントがあるのは良いことである。少しでも言葉に関心を惹くことができるし、年の瀬に「今年はこんな年だったなぁ」と思い返すきっかけにもなる。そこ言うと「税」「戦」「蜜」は嫌な感じしてしまいますが…。ゼレンスキーも選ばれると思ってなかったと思う。
で、だ。本当は「拙いが、現代日本だって新しい言葉が作れて、機能的に使えるんだぞ!日本語ってやっぱりすごいよな!」と締め括りたくて書き始めたのだが…あれ?そうでもない…?このままではヤバイ。
ここでもう1つ。ギャル語に焦点を当ててみよう。ギャル語はすごい。1単語1単語、1節1節に様々な意味やニュアンスや状況が凝縮されている。何がすごいって誰が言い出したか知らんが、いつの間にか新しい単語を作り出して使いこなして広まっていることである。
2024年:それガーチャー?
2023年:なぁぜなぁぜ?
2022年:ギャルピ
2021年:虹
2020年:やりらふぃー
過去5年のギャル語大賞の言葉たち。
いやー、意味分かりません。というのも、ギャル語は前述した2つと違う。「新語・流行語」は影響力のあるドラマや誰かの発言が話題になった結果選ばれていたりする。「今年の漢字」はあくまで漢字1文字でその年1年を表わしている。つまり、使う人、使い時、使い方が限定されている。だが、ギャル語は違う。ギャル語はギャルなら使える。いや、言葉の意味を知っていれば誰でも使える。例えば「虹」。意味は「最上級に最高」なのでテンション上がった時に「マジそれは虹」と使えばいい。老若男女、使用するのは簡単だろう。一見しても何を意味しているのかこれっぽっちも全くもって分からない言葉たちではあるが、柔軟に、多用途に、機能的に、世界中の誰にでも使うことのできる新しい1つの言葉の形ではないかと思う。だが、ギャル語は廃りが早く、一時期流行っていた「ぴえん」なんかはもう使われてない。使おうと思えばもちろん使えるが、古いと思われてしまうので注意が必要だ。
収集がつかなくなってきてしまった………「拙いが、現代日本だって新しい言葉が作れて、機能的に使えるんだぞ!日本語ってやっぱりすごいよな!」
私は、書店のアルバイトをしていたことがありまして…
あるあるなのですが、お客さんからの「〇〇という本ありますか?」というお問合せ…。これがもう…4Kどころではない。HDすらない解像度で本のタイトルを聞いてくるのだ。
福井県立図書館のHPでは、「覚え違いタイトル集」をまとめてくれている。素晴らしい。仕事中なのに見入ってしまった。
「これなら探せそうだ」というものから「いやこれはさすがに…」というものまで少し紹介しておこう。
誤:「とっておきの食文化」→正:「とっておきの文化食」
誤:「老人の品格」→正:「老いの品格」
誤:「茄子の花」→正:「芥子の花」
これくらいならピンと来て探せそうである。
誤:「唐魔族三兄弟」→正:「カラマーゾフの兄弟」
誤:「オオカミ男のアメとムチ」→正:「おおかみこどもの雨と雪」
誤:「リンタロウとマンタロウ」→正:「忍たま乱太郎」
ちょっと笑ってしまう…。まぁでもこれでも探せそうだ。
誤:「入れ歯がふっとんだ」→正:「どっかーん はじめてみよう老人ケアに紙芝居」
誤:「ねこねこ」→正:「薬屋のひとりごと」
誤:「ドスコイ」→正:「DOS/V POWER REPORT」(ドス ブイ パワーレポート)
ん〜…破壊力抜群。「ドスコイ」なんて相撲関連のものと思うじゃないですか。エッセイ本でもありそうな響きだし。けど、「DOS/V POWER REPORT」ってPC雑誌ですからね。
うそだろwとお思いになるかもしれないが、そんなあなたは書店で働いてみたらいい。こんなの日常茶飯事だ。ようやく見つけても「これじゃない」と言われることもある。「じゃあ、きちんとタイトル覚えてこんかい!」と何度も思った。
人間の記憶なんていい加減でしょう?自分が読みたい本のタイトルすら覚えてないのだ。だから、子どもがあまり興味を持たないであろう勉強のことを記憶して使いこなすなんてなかなか難しいことなんだろうなぁと思う。
で、ここで何が言いたいかというと別にタイトルは間違えてもいい。いいんだそれは。だけど本のタイトルにある簡単な英単語の発音くらいは知っててほしいなと。書店でバイトしてた時のこと。「恐竜」の英単語「dinasour」(ダイナソー)を読めないなら、それはそれでいい。でも自信満々に30、40代の見た目もしごできな雰囲気纏った男性が明らかにダイナソーとは発音をしていなくて、「恐竜の本なんだけど…」って…。すんごい気を遣った。こういうことが日常で起こっているかもしれない。専門用語ならまだしも、簡単な英単語を読めない大人が10、20代の小僧に気を遣われる日常がそこら中にあるかもしれない。読めない英語や漢字、聞いても分からない言葉…。世間一般で言われている常識というやつくらいは知ってて損ないよなと思う。いや、知らないと損するよね。だから、少年少女たち。勉強に興味なくてもいいけど、これくらいのものは覚えとけ。知らねぇとかっこ悪いぞ。